食物採集による半自給自足のメニューをご覧あれ
巨匠マンガ家白土三平は千葉の房総半島の漁村に住み、農業、漁業というよりも狩猟民族のように、まさに自然の恵みの採取の半自給自足の生活を過ごしている。その食物の対象は、都会でも普通の田舎でも手にはいらない、どちらかと言えば、ヒトの食べ物としてはボーダーラインにある、岩にこびりついた貝、きのこ、小魚の類である。白米が常食になるまでの昔の農村の食生活とはこの程度のものだったのかとも感じる。本書ではこれらの食物の採取方法から調理まで写真をふんだんにつかって紹介している。白土さんは東京生まれで太平洋戦争の少年時代は長野の真田の田舎で疎開暮らしをおくった。疎開生活は差別も含め、決して楽しいものではなかったと想像するが、そこでの食の記憶が白土さんを房総での自給生活に誘ったのであろう。その理由は何だろうか。
三平少年が貧しさを味わったのは、自然と別れた時だった
著者は誰もが知る、あの忍者の漫画などを書いてた人である。 この人自身がただものではないことは、Be-PALという雑誌あたりで、かなり知られてきた。近代化された、文明化されたアウトドア情報の中では、この人は本当に忍者みたいだった。 しかし考えると、やっぱり彼は普通の人なのかもしれない。たとえば、生き物を殺して食うことは、本当はごく普通のことだからだ。生きるためには食わねばならない。そして食うためには殺さねばならない。あらかじめ殺されていようと、いま口の中で息絶えようと、そのことは変わらない。自分でなくても、誰かが殺さなければ、なにも食卓には上らない。 白土三平は、カジカをとってワラに刺して焼き、茸をとってスス飯を炊く、魚をおろして干物を作り、皮をはいで狸汁を喰らう。時に慣れぬ手つきを地元の人にどやされる時があっても、老漫画家はかつての手の感触を思い出すように、食うために命をその手で奪っていく。 かつて、子供たちが「遊び」でつかまえた川魚すら、家族の食卓を支える貴重な蛋白質源だった。飢えを知るということは「貧しい」ということでもあったが、今と違って消費だけでなく生産も、日々の生活の中にあった。生きることが手の届くところにあった。三平少年が本当に貧しさを味わったのは、家族が都会へと移り住み、挌闘相手だった厳しい自然から遠ざかった時だった。
まさにカムイの食生活
白土三平が、身近にあるものを自分で手に入れ、自分で調理して食べた経験を語っているのだが、アウトドアの手引きをいうわけではない。 時には、昔ながらの食文化が失われていくことを嘆き、時には、餓えていた少年時代の思い出を語り、白土三平自身の経験や考え方が印象に残る。 ほとんど「カムイ伝」のような世界で、あれもこれも食べている。大変な知識であり、行動力である。
小学館
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